近松研究室では「複合アニオン酸化物薄膜」を対象とした研究を行っています。
金属カチオン(cation:陽イオン)の周りに酸素イオンが配位した酸化物は身近に存在し、メモリやエネルギーデバイスとして使われています。では、そのような酸化物の中の酸素の一部を、ほかのアニオン(anion:陰イオン)で置き換えてみるとどうなるでしょうか?
そのような物質は「複合アニオン酸化物」と呼ばれます。その模式図を図1に示しました。酸素とほかのアニオンでは、電気陰性度や半径が大きく異なります。このため、複合アニオン酸化物では、酸化物にはなかった面白い物性が現れることがあります。以下にその例を紹介します。
図1 複合アニオン酸化物
・バンドギャップの縮小
物質の中で、一番エネルギーの高い軌道を占有している電子が、一番エネルギーの低い空の軌道に遷移するために必要なエネルギーをバンドギャップと呼びます。酸化物の中では、金属カチオンの軌道とその周りに配位した酸素の軌道の相互作用によって軌道がつくられています。基本的に金属カチオンの寄与が大きい軌道は酸素の寄与が大きい軌道に比べて高エネルギー側に位置します。
ここで酸素の一部を、酸素よりも電気陰性度が小さく、軌道の形成にかかわる軌道のエネルギーが高いアニオン(窒素など)に置き換えると、金属カチオンの寄与が大きい軌道とアニオンの寄与が大きい軌道が近づきます。これにより、バンドギャップを狭くすることができるのです。
また、酸素の一部をフッ素で置き換えると、その過程で結晶構造が変化することがあります。周囲の環境が変化したことで、軌道の混成の仕方が変わり、バンドギャップが小さくなったという例もあります。
バンドギャップと強い関わりをもつ物性に、光応答性があります。光応答性は太陽電池や光触媒などに応用され、現在活発に研究されている性質の一つです。太陽電池も光触媒も、光エネルギーの吸収による電子の遷移が電圧の発生や化学反応のカギとなります。太陽光を利用するわけですから、実用的な太陽電池や光触媒では、ちょうど太陽光と同じエネルギーを吸収して反応が起きるのが理想的です。しかし一般的な金属酸化物材料では、バンドギャップが赤外線(太陽光の約半分を占める)に相当するエネルギーより大きいので、反応の起点となる太陽光の吸収が効率的でないといった課題があります。そこで酸化物を複合アニオン酸化物にすることで、バンドギャップを小さくできれば、太陽光を効率よく吸収できる光応答性材料の実現に近づきます。
・局所的な電荷の偏り
酸化物は金属カチオンの周りに同じ種類のアニオンが配位しているので、構造の対称性が高いといえます。ここで酸素の一部をほかのアニオンに置き換えると、電気陰性度の違いから、電子密度に差ができ、電荷が偏ります。
強誘電性は、電場をかけなくても自発的に物質内部に分極が生じている物質のことを指します。局所的に電荷が偏った非対称な構造は、強誘電性を発現するのに有利にはたらきます。
この強誘電性に関連して、近年盛んに研究が行われているのが、マルチフェロイック特性です。マルチフェロイック特性とは、強誘電性と磁気秩序(強磁性や反強磁性など、物質中の磁気モーメントが整列していること)を併せ持つ※性質です。私たちの身近にあるハードディスクの内部の磁気メモリは、メモリ材料の磁気モーメントの向きとして情報を記録しています。その際、磁気モーメントを変化させる磁場を生み出すために電流を流す必要があり、そこで発生する熱が省エネルギー化を妨げています。一方マルチフェロイック物質のメモリがあれば、電荷の偏りと磁気モーメントの向きに相関があるので、両端に電位差を作るだけで情報の書き込みができ、省エネルギー化につながります。ところが、多くのマルチフェロイック物質は、極めて低い温度でしかその性質を示すことができません。そこで、酸化物を、強誘電性の発現しやすい複合アニオン酸化物にすることで、室温でもはたらくマルチフェロイック物質となる可能性があり、エネルギー消費の少ない不揮発性メモリ材料の開発につながることが期待できます。
※広義には強弾性、強トロイダル性を含む。
・層状構造の構築
複合アニオン酸化物においては、酸素とほかのアニオンがランダムに混合するのではなく、占有する位置がはっきりと分かれる場合があります。特にフッ化物イオンやヒドリドイオン(H–)は半径が小さく、もとの酸化物の単位格子の間隙に入り込んで層状構造を構築することがあります。
層状構造をもった複合アニオン酸化物では、層間に入ったアニオンによるキャリアドープの効果が生じ、超伝導性の発現が期待できます。また、形式電荷が小さいアニオンは電気化学反応によって層間を移動することができます。イオンが固体中を移動するという現象は、固体電解質や、神経の伝達を模倣した省エネルギーデバイスであるニューロモルフィックデバイスへの応用につながります。
以上のように複合アニオン酸化物は、現状の酸化物材料が抱える課題を解決する可能性を秘めた物質です。ではどうやって酸素とほかのアニオンを置き換えるのでしょうか?
酸化物に比べ、複合アニオン酸化物は珍しい物質です。というのも、酸素とほかのアニオンでは性質が大きく異なるため、特殊な条件下でなければ、2種類のアニオンを共存させようと思っても片方しか残らない場合が多いからです。近松研究室ではこの問題に対処するため、「薄膜合成技術」と「トポケミカル反応」の手法を組み合わせることで、独自に新たな複合アニオン酸化物の合成を可能にしています。
・薄膜合成技術
粉末や岩石のように、比較的大きな塊状の試料はバルクと呼ばれます。これに対し、厚さ1 µm程度までの薄い膜状の試料は薄膜と呼ばれます。酸化物固体の中にほかのアニオンが導入されるとき、アニオンは固体中を拡散するといわれています。このとき、薄膜中の方がバルク中よりも拡散速度が速いので、薄膜形状の試料はアニオンを入れ替える上で有利になります。また、異なる物質でできた薄膜を積層させる(ヘテロ構造)ことで、互いの長所を併せ持った物質を設計することができます。さらに薄膜は、不純物やひび割れの少ない高品質な結晶の形で得られるため、さまざまな物性の測定がしやすいという利点もあります。これらの観点から、近松研究室では薄膜形状の酸化物を作製し、その中に他のアニオンを導入していくという手法をとっています。
薄膜は、本研究室で所有するパルスレーザー堆積装置(研究設備のページを参照)などを用いて作製することができます。まず装置の内部に、結晶成長の核となる人工宝石の板(基板)と、薄膜の構成元素を含む粉末を焼き固めた物体(ターゲット)を、互いが向き合うように設置します。そしてターゲットにレーザー光を当てると、成分が飛び散ります。飛び散った成分は対面にある基板の表面に到達し、基板の結晶の秩序に沿う形で整列します。レーザー光の照射を一定時間繰り返し、構成成分を積層させることで、酸化物薄膜が得られます。
通常、薄膜は基板についたままですが、基板から剥離することにより、厚さ数nmのナノシートを得ることも可能です。
・トポケミカル反応
トポケミカル反応は、前駆体となる酸化物と、置換するアニオンを含む物質(アニオン源)を500 ℃以下で加熱して行う低温合成法です。加熱されたアニオン源からはアニオンまたはそれを含む揮発性物質が生じ、酸化物と反応して酸素とアニオンが入れ替わります。酸化物を500 ℃以上で加熱すると分解してしまうことがありますが、低温のため前駆体酸化物の構造を壊すことなく、アニオンの置換を行うことができます。またトポケミカル反応は、揮発するアニオン種の活性を利用した速度論支配の反応であるため、熱力学支配の条件では合成しにくかった準安定相を得やすいという特長があります。
近松研究室では酸フッ化物の作製のためのフッ素源としてフッ素樹脂を用いています。フッ素樹脂には、室温で安定であり扱いやすいという利点があります。
最近は、酸化物の一部をフッ素で置き換えた「遷移金属酸フッ化物薄膜」の作製と、新しい物性の開拓に取り組んでいます。フッ素は半径が酸素と近いため、異なる電荷をもっていながら酸素と共存しやすい特徴があります。また、フッ素はイオン半径が小さく、ほかのアニオンでは入りえない間隙に入り込むことができるため、前駆体とは構造の異なる結晶を生じる可能性があります。さらに形式電荷が1価と小さいため、固体の中を容易に移動することができます。これらを利用し、室温でマルチフェロイック特性を示す物質材料や、固体中へのイオンの電気化学的な挿入/脱離を応用したニューロモルフィックデバイス材料の開発を視野に研究を行っています。
さらに、トポケミカル反応を施すことで、酸化物中の酸素がすべてフッ素に置き換わるという物質も存在します。この方法でフッ素イオン伝導性の高いフッ化物を作製し、希少性の高いリチウムなどの元素を用いた二次電池に代わる、フッ素イオン二次電池の実現に向けた材料の開発も目指しています。
このように、近松研究室では、酸フッ化物の新しい物性や機能を見出す研究を行うとともに、得られた知見から新たな学理を構築し、革新的なデバイスの基礎となる技術を開発することを目標にしています。作製した新薄膜や新デバイスの物性を解明するために、多くの共同研究者と連携し、放射光分光などの最先端技術を積極的に活用しています。
図2 近松研究室の研究の特徴