高分子

はじめに

 高分子は、モノマーと呼ばれる低分子が数百以上、時には数十万個も重合した巨大分子で、ゴム、DNA、タンパク質、繊維、プラスチック、ゲルなど多様な物質が該当します。高分子の中では炭素原子が共有結合によって長く連なり、高分子同士あるいは溶媒分子との衝突による変形を絶えず繰り返してランダムな糸まり状の構造を作っています。高分子に共通する、ランダムに変形するひも状のものとしての性質は、20世紀前半から物理学者の注目を集めはじめました。

 出口研究室では、ランダムに変形するひも状の高分子と“かたち”の関係を調べています。“かたち”とは、ここでは、①多数のひもがどのようにつながってネットワークを形成しているのか=グラフ理論的なアプローチ=ホモロジー的トポロジーと、②ひもが互いの移動を制限する絡まり=結び目・絡み目を対象とした位相幾何学的なアプローチ=イソトピー的トポロジーの二つを意味しています。ホモロジー的トポロジーの研究では、高分子ネットワークの構造を境界演算子と呼ぶ行列によって表し、抵抗距離を厳密な解析的計算あるいは数値計算によって調べ、慣性半径や散乱関数などの物性量をネットワークの構造と関連付けて求めます。イソトピー的トポロジーでは、高分子の立体配置を実際に生成して結び目や絡み目を検出し、高分子の絡まりが物性に与える影響を考察します。また、これらの数値計算に用いるアルゴリズムを開発し、生成されたサンプルが統計的に良い性質を持っていることを線形代数学や測度論など数学を用いて証明することも行っています。

 キーワード:  ソフトマター物理、統計物理、高分子物理、トポロジー、ランダムウォーク、自己排除ウォーク、結び目と絡み目、ネットワーク、グラフ理論、測度論

高分子ネットワークの境界演算子を利用した解析

背景

高分子ネットワークの一部を空間的に固定した場合の分配関数は、JamesによってKirchhoff行列の行列式を使って示されました[1]。電気回路とのアナロジーから、高分子ネットワークの弾性は抵抗距離によって表されます。ファントムネットワークの架橋鎖ベクトルの揺らぎは、架橋点の分岐数をfとすると2/𝑓に比例するとFloryによって予想されました[2]。Kloczkowskiは内部に多数の枝分かれを含む高分子ネットワークを、端を固定した無限に大きい木構造のグラフとしてモデル化し、Floryの予想がこの場合において正しいことを示しました[3-4]。Kloczkowskiのモデルの研究は現在でも続けられており、最近ではループやダングリングなど構造に不均一な部分を含む場合の解が計算されています[5-7]。

[1]H.M. James, “Statistical Properties of Networks of Flexible Chains”, J. Chem. Phys. 15 (1947).
[2]P.J. Flory, “Statistical thermodynamics of random networks”, Proc. R. Soc. Lond. A 351 (1976).
[3]A. Kloczkowski, J.E. Mark and B. Erman, “Chain Dimensions and Fluctuations in Random Elastomeric Networks. 1. Phantom Gaussian Networks in the Undeformed State”, Macromolecules 22 (1989).
[4]B. Erman, A. Kloczkowski and J.E. Mark, “Chain Dimensions and Fluctuations in Random Elastomeric Networks. 2. Dependence of Chain Dimensions and Fluctuations on Macroscopic Strain”, Macromolecules 22 (1989).
[5]M. Zhong et al., “Quantifying the impact of molecular defects on polymer network elasticity”, Science 353 (2016).
[6]M. Lang, “On the Elasticity of Polymer Model Networks Containing Finite Loops”, Macromolecules 52 (2019).
[7]T.-S. Lin et al., “Revisiting the Elasticity Theory for Real Gaussian Phantom Networks”, Macromolecules 52 (2019).

出口研究室の研究の例

 従来の理論では、高分子ネットワークの一部を空間に固定しないと分配関数が発散してしまいました。一方で、揺らぎの計算結果は、どの点を固定するかに依存します。出口研究室では、この問題を解決し、固定点のない高分子ネットワークの2点相関をグラフラプラシアンの擬逆行列を使って表しました。この方法による解析で、多様な種類のネットワークの揺らぎについての予想2/𝑓が成立していることをシミュレーションによって検証し、一部のネットワークについては2/𝑓に漸近する厳密解を得ました。

 ①格子状ネットワークの架橋鎖ベクトルの揺らぎ:一辺の格子点数が𝑁の𝐷次元周期境界条件を持つ立方格子の架橋鎖ベクトルの揺らぎは、架橋点の分岐数𝑓=2𝐷として、厳密に、

となることを示せます。これはNが十分大きい時にFloryの予想2/fと一致します。

②正則グラフネットワークの架橋鎖ベクトルの揺らぎ:McKayの求めた正則グラフの固有値スペクトラム[1]から導かれ、

 となります。これは𝑓が大きい時に2/𝑓に一致します。正則グラフは局所的にはツリー構造に近いため、従来のツリー型グラフを用いたモデルの結果[2]に対応すると考えています。

③分岐数を保存したままランダム入れ替えを行ったネットワーク(下図)の架橋鎖ベクトルの揺らぎ:シミュレーションを用いて、𝑓=3∼8の間でほぼ2/𝑓であることを検証しました。

[1]B.D. McKay, “The Expected Eigenvalue Distribution of a Large Regular Graph”, Linear Algebra and its Applications 40 (1981).[2]A. Kloczkowski, J.E. Mark and B. Erman, “Chain Dimensions and Fluctuations in Random Elastomeric Networks. 1. Phantom Gaussian Networks in the Undeformed State”, Macromolecules 22 (1989).

関連する出口研究室の業績(一部)
[1]J. Cantarella, T. Deguchi, C. Shonkwiler and E. Uehara, “Radius of Gyration, Contraction Factors, and Subdivisions of Topological Polymers”, arXiv:2004.06199 (2020).
[2]J. Cantarella, T. Deguchi, C. Shonkwiler and E. Uehara, “Gaussian Random Embeddings of Multigraphs”, arXiv:2001.11709 (2020).
[3]J. Cantarella, T. Deguchi, C. Shonkwiler and E. Uehara, “Random graph embeddings with general edge potentials”, arXiv:2205.09049 (2022).
[4]出口哲生、J. カンタレラ、C. ショーンクワイラー、上原恵理香、日本物理学会77回年次大会 口頭講演

※このテーマはCREST受託研究「高分子弾性のホモロジー的トポロジー理論の構築と環状混合デバイス(研究代表者:出口哲生)」の支援のもと行われています。

高分子鎖の絡み合い、結び目の研究 

背景 

 大腸菌など一部の細菌は環状DNAを持っており、DNAトポイソメラーゼを使うことでDNAに結び目を生じることが、電子顕微鏡写真で直接確認されています[1]。結び目を生じた高分子は通常より小さくなるので、溶媒中での移動速度が変化し、電気泳動によって分離することができます[2]。また最近でも、結び目DNAを細孔を通して分離する実験が行われました[3]。これらの実験は、高分子同士の絡み合いが実際に物性に影響することを端的に示しており、バルクの物質でも絡み合いが重要な役割を果たすことを示唆しています。

[1]M.A. Krasnow, A. Stasiak, S.J. Spengler, F. Dean, T. Koller and N.R. Cozzarelli, “Determination of the absolute handedness of knots and catenanes of DNA”, Nature 304 (1983).
[2]V.V. Rybenkov, et al., “Probability of DNA knotting and the effective diameter of the DNA double helix”, PNAS USA 90 (1993).[3]C. Plesa, et al., “Direct observation of DNA knots using a solid-state nanopore”, Nature Nanotech. 11 (2016).

出口研究室の研究の例 

 出口研究室で開発したソースコードを使い、環状高分子鎖の結び目確率および慣性半径のスケーリング指数を計算しています[1]。ソースコードの開発を行う中で、従来は難しかった束縛条件のあるランダムウォークの高速生成アルゴリズムを開発し、条件を満たすランダムウォークを統計的に一様に状態空間から取り出せることを証明しました[2,3]。最近では環状以外の様々な形状のランダムウォークにおける自己絡み合いの確率を計算し[4]、また伸長したときのエントロピーの変化から弾性力を評価し、ファントムネットワークにおけるMooney-Rivlin則の再現を目指しています[5]。

 関連する出口研究室の業績(一部)

[1]N. Hirayama, K. Tsurusaki and T. Deguchi, “Linking probabilities of off-lattice self-avoiding polygons and the effects of excluded volume”, J. Phys. A: Math. Theor. 42 (2009) 105001.
[2]J. Cantarella, T. Deguchi and C. Shonkwiler, “Probability Theory of Random Polygons from the Quaternionic Viewpoint”, Comm. Pure Appl. Math. 67 (2014) 1658-1699.
[3]J. Cantarella, B. Duplantier, C. Shonkwiler, and E. Uehara, “A fast direct sampling algorithm for equilateral closed polygons”, J. Phys. A: Math. Theor. 49 (2016) 275202.
[4]E. Uehara and T. Deguchi, “Statistical and hydrodynamic properties of double-ring polymers with a fixed linking number between twin rings”, J. Chem. Phys. 140 (2014) 044902.
[5]in preparation.